カタターン、カタターン、カタターン……。レー
ルを叩く列車の車輪のシンコペーションを耳に
すると、少年の日の夢と決意と、そして若き日
の父と母の姿が蘇ってきます。

 人の為になる人になれ――。そう育てられた
私は、音楽を通して人の役に立ちたいと、天理
中学校から東京芸大附属音楽高校を目指しま
した。中学2年からは毎月、東京にレッスンに
通いましたが、その費用は母が内職して作っ
てくれました。毎夜遅くまで、黙々と針を動か
す母の背中。教員をしていた父も帰宅すると、
母の丹前作りを手伝い、舞い上がる綿ぼこり
の中で、二人して私の夢を紡いでくれました。

 昭和35年早春、受験。東京に向かうおなじ
みの夜行列車「急行やまと号」の中で、そんな
父母の姿を思い浮かべ、「絶対に合格するぞ」
と拳を握り締めたものでした。

「シゲちゃん頑張って来いや!」。奈良駅のホ
ームでいつも、母はそう言って送り出してくれ
ました。芸大附属高校へ、その後、フランス政
府給費留学生として音楽の都パリへ。

 帰国した私は、単なる演奏家としてだけでは
なく、一人でも多くの人々に音楽の喜びと楽し
みを伝えたいとハヤシ音楽教室を開設しまし
た。やがてそれが、老人福祉、そして音楽療
法へと広がっていったのは、いつも心の奥でリ
ズムを刻んでいる急行やまと号のシンコペー
ションのせいかもしれません。
   老境を迎えるころ両親は、「老後はゆっくり時
の過ぎていく、そんな老人ホームでゆっくりと
過ごしたい」と話しておりました。ところが、母
が心不全で急逝。私は、両親の思い描いてい
た穏やかな老後の暮らしを、身寄りのない方
や身体の不自由な方の上に映そうと決意しま
した。音楽一筋に生きていた私は、そんな思
いに自らの夢を重ね合わせ、音楽と福祉の道
を歩むことにしました。

 音楽の響くやかた。そんな想いを込めて命名
した「ひびきの郷」。当時、掲げた理想は、あ
れから20年近くたったいまも変わらず、私と私
たちの理想であり続けています。

 その後、在宅サービスが主流となることを見
越して、在宅介護支援のためのショートステイ
事業をスタートさせ、デイ・サービスセンターと
在宅介護支援センターを開設。さらに、福祉・
医療制度等の変化を見据えながら訪問看護
サービス、社会福祉法人では小回りのきかな
いサービス、言い換えれば民間だからこそ提
供できるサービスを目指して有限会社ハヤシ
の体制を拡充し、時代の変化に即応した総合
的なサービスの提供に努めています。

 縁あって引き合わせてくださる人々の幸せを
祈り、喜びを共に――。父母から受け継いだそ
んな信仰心を基盤に据えて、さらなる充実発
展を目指していきたいと思っています。

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