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林 芳繁
昭和20(1945)年生まれ。国立東京芸術大学附属音楽高校に入学。フランス政府給費留学生として、ベルサイユ国立音楽院に学ぶ。帰国後、各地でリサイタルを開くなど音楽活動を開始し、昭和46(1971)年にハヤシ音楽教室設立。
昭和61(1986)年、有限会社ハヤシを設立、代表取締役社長。
昭和62(1987)年、社会福祉法人天寿会を創設。
昭和63(1988)年、特別養護老人ホームひびきの郷開設、園長に就任。
平成元(1989)年、社会福祉法人天寿会の理事長就任。

理事長あいさつ

和やかに  健やかに  その人らしく
ー父母の思いを胸底に置いてー

 カタターン、カタターン、カタターン……。レールを叩く列車の車輪のシンコペーションを耳にすると、少年の日の夢と決意と、そして若き日の父と母の姿が蘇ってきます。
人は人のために生きてこそ人――。そう育てられた私は、音楽を通して人様の役に立ちたいと、天理中学校から東京芸大附属音楽高校を目指しました。中学2年からは毎月、東京にレッスンに通いましたが、その費用は母が内職して作ってくれました。毎夜遅くまで、黙々と針を動かす母の背中。教員をしていた父も帰宅すると、母の丹前作りを手伝い、舞い上がる綿ぼこりの中で、二人して私の夢を紡いでくれました。
 昭和35年早春、受験。東京に向かうおなじみの夜行列車「急行やまと号」の中で、そんな父母の姿を思い浮かべ、「絶対に合格するぞ」と拳を握り締めたものでした。「シゲちゃん頑張ってきいや!」奈良駅のホームでいつも、母はそう言って送り出してくれました。東京芸大附属高校へ、その後、フランス政府給費留学生として音楽の都パリへ。帰国した私は、単なる演奏家としてだけではなく、一人でも多くの人々に音楽の喜びと楽しみを伝えたいとハヤシ音楽教室を開設しました。やがてそれが、老人福祉、そして音楽療法へと広がっていったのは、いつも心の奥でリズムを刻んでいる急行やまと号のシンコペーションのせいかもしれません。

 老境を迎えるころ両親は、「老後はゆっくり時の過ぎていく、そんな老人ホームでゆっくりと過ごしたい」 と話しておりました。ところが、母が心不全で急逝。私は、両親の思い描いていた穏やかな老後の暮らしを、身寄りのない方や身体の不自由な方の上に映そうと決意しました。音楽一筋に生きていた私は、そんな思いに自らの夢を重ね合わせ、音楽と福祉の道を歩むことにしました。
 音楽の響くやかた。そんな想いを込めて命名した「ひびきの郷」。当時、掲げた理想は、あれから30年近くたったいまも変わらず、私と私たちの理想であり続けています。
 その後、在宅サービスが主流となることを見越して、在宅介護支援のためのショートステイ事業をスタートさせ、デイサービスセンターと在宅介護支援センターを開設。さらに、福祉・医療制度等の変化を見据えながら訪問看護サービス、社会福祉法人では小回りのきかないサービス、言い換えれば民間だからこそ提供できるサービスを目指して有限会社ハヤシの体制を拡充し、時代の変化に即応した総合的なサービスの提供に努めています。
 縁あって引き合わせてくださる人々の幸せを祈り、喜びを共に――。父母から受け継いだそんな信仰心を基盤に据えて、さらなる充実発展を目指していきたいと思っています。